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瞑想を始めるとき…

  • 執筆者の写真: 中西れいこ
    中西れいこ
  • 2024年4月1日
  • 読了時間: 2分

更新日:2024年4月4日

人間は今日、多くのものを追い求めており、その置かれている状況のため低位我に完全に偏極しており、その偏極は情緒体かメンタル体のどちらかにある。 私が示したい一つの興味深い点は、偏極が完全に肉体に、もしくは完全に情緒体にある限り、瞑想を行う必要性は感じられない。 たとえメンタル体が活発であっても、多くの変化と人生を経験し、多くの転生を通して苦楽の盃を味わい完全に低位我に没頭した人生の深みに沈み、それに不満を抱くようになるまで、そのような衝動は起こらない。 この衝動が起こったとき、人間は自らの思考をそれまでとは違ったものに向け、 未知のものに対して熱誠を抱き、自らの内にある相反する対をなすものを認識し感知し、自らの意識内においてこれまで夢にも見なかった可能性と理想に接触し始める。 成功と評判と様々な才能が自分のものになっているが、それらを利用しても満足を得られない地点に辿り着いたのである。内なる衝動が常に駆り立て、やがて苦悩は激しいものになり、自身を超えた何かや誰かに手を伸ばし、それを確かめたいという欲求がすべての障害を克服する。 人は内に向き、自らが来た源を探求し始める。そして彼は、瞑想し、熟考し、波動を強め始め、やがて瞑想の成果を収穫し蓄える。


この文章は「人が瞑想を始めるとき」という内容で、私が大好きな文章です。


私の内にある瞑想をしたい!という欲求は「物質的満足を探求する人生はもう終わりにしたい。自分を超えた何かに、誰かに手を伸ばしたい」という願いであることに気づけた、恩を感じている文章です。この文章のおかげで、瞑想を続けている動機が純粋であることに気づかされます。


このように感じている人と共に、エナジーワークが一緒に出来たら嬉しいです。未知の何かに、共に手を伸ばしませんか?




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